マインド・コントロール論再考

 

「マインド・コントロール」は、広い概念として通俗的に使われすぎた。

 

1 洗脳と混同した概念使用

 マインド・コントロールは、多くの人が混同して用いているが、洗脳と異なるものとして認識すべきだ。洗脳の特徴は、身体的拘束であるが、その意味は、本人に吹き込まれる思想に抵抗する意志と知識がある状況だということであり、破壊的カルトの問題ではそのような状況にないので、洗脳の研究成果は意味をもたない。実際には、現在の日本人の場合、入信するときには、守るべき強い信念もなかった人がふつうだし、「自由意思」のように見せているから、その影響力は、洗脳のような戦争捕虜の例ではなじまない。まったく別の影響力として再評価するべきだし、人民寺院やブランチ・ダビディアン、オウム真理教などと積極的に比較検討することが科学的な態度といえる。

→ リフトンやシャインの研究成果では洗脳はその効果が行動上の服従であり内面的変化を起こしていないという。その結果を下に、破壊的カルトの「洗脳」も効果がないと指摘する主張は、破壊的カルトの信者と戦争捕虜とを誤って同一視しているのではないか。

→ 統一協会の主張は自己矛盾している。彼らは一方では洗脳は効果がないと認めながら、反対牧師は「逆洗脳している」と訴える。つまり彼らの主張では、脱会カウンセリングにおける説得は、リフトンらの説明する事情に類似しているということを根拠に「強制改宗」と非難しているが、洗脳の効果を正当に評価すれば、統一協会のいうそれは失敗することになるはずだ。また、同じ理由から、西田の調査データの提供者が「逆洗脳」されているわけではないので、西田(1993,1995)の研究データが特別に歪曲していることにもならない。

 

2 通俗的概念である「マインド・コントロール

この概念は、UCとオウムとそれに準ずる活動をしている団体に適用する概念として用いるべきだった。この言葉のもつ意味が広いことから、概念が流布するにつれてあいまいになることは予想可能なことではあった。結局、破壊的カルトの勧誘・集団維持手法のみならず、洗脳や心理学でいうセルフ・コントロール、心理療法、集団訓練なども含むこととなった。

→ 拙著「マインド・コントロールとは何か」(紀伊国屋書店)でも、警戒を促す意味があって団体の固有名詞は用いなかった。その本で説明した心理操作の一部は一般的に見られるので、多くの団体に破壊的カルトとみなされる危惧をいだかせたかも知れない。

→ 拙著では、全プロセスが含まれるものが基本であり、それから著しく欠けるものや一部だけ関わるものを含まないように指摘するべきであった。だから、本来、マインド・コントロールには最低3ヶ月以上かかるものに限定的に用いるべきではあった。統一協会の「修練会」やヤマギシの「特講」も、いわゆる「解凍」だけのプロセスであり、それだけをマインド・コントロールと呼ぶのは問題を正しく把握できなくなることを指摘し忘れたことが反省される。

 

「マインド・コントロール」の影響力は非科学的なのか? 

 

1 アメリカ心理学会(APA)の法廷助言書

アメリカでの法廷において、APA法廷助言書が提出され、それによってシンガーらのマインド・コントロール論を非科学的な主張として退けたと統一協会は説明している。しかし、実際には、その助言書は会員の有志たちの意見に過ぎない。

→ その書から確かに言えることは、マインド・コントロール論に対して共通の見解がないということだ。50以上の部会があり、日本よりもずっと学術的コンセンサスが取りにくい(裁判では、反論する学説がでてくれば、その信用性を留保することは当然だと思う)。しかし、日本の心理学会では公にこの論を否定する学説を主張する者はいまだみない。これは、日本の心理学会がアメリカに比べて遅れているからという(失礼な)主張がある。しかし、日本でこの論が学術論文(西田、1994)となってから6年も経過し、その間、学会の大会やシンポジウムで何度か取り上げてきた。もし心理学的に異論があれば主張されるはずだ(アメリカでは、「カルト」VS「反カルト」というアメリカ・ナショナリズムの文脈での議論が交錯して問題を複雑にさせてしまっている、という独特の事情があるのだと思う)。

→ 否定論者のアイリーン・バーカー氏やギャランター氏が中立という見方の論拠が不明である。統一協会の好む権威主義的な言い方をすれば、この論について論文もあり、「マインド・コントロール」という講義を行っているのジンバルドー氏(スタンフォード大学教授)をはじめとして、チャルディーニ氏(アリゾナ大学教授)は、社会心理学界では、その法廷助言書の執筆者たちよりも、世界的にずっと名声ある学者である。

 

2 批判者が重視するバーカー,E.研究(1980)の研究

 バーカー,E.の研究は統一協会の修練会でスクリーニングされていく過程をロンドンとロサンゼルスで調査し、その入信率が10%未満だから低いとみなし、マインド・コントロール論を否定しようとする。しかし、数パーセントの入信率が低いとする科学的根拠はない。たとえば、失業率4%がなぜ高いと憂慮されるのか。セミナーに出た人の5%が犯罪に関与するとしたら、それは通常の勧誘で生じると見なせるのだろうか。

霊感商法をしてきたことを知った上で入信する確率や、財産やこれまでの人生を捨てて言われたままに奉仕し、また合同結婚することしか幸福になる道はないと思い込んでいる信者ばかりがいると知っていて入信する確率や、文鮮明一族のスキャンダラスな生活ぶりを知っていて入信する確率だとかといったことを基準にすべきである。つまり、イギリス、アメリカと日本とではまったく事情が異なる。日本では犯罪として認知された霊感商法についての知識と無宗教的土壌が存在している。欧米では霊感商法をやっていないし、キリスト教文化で聖書的な物語に親和性が高い。また、日本の勧誘でいうような先祖の因縁から説明する呪いのメッセージとかは欧米では存在していないという。そのような入信しやすい状況においも数パーセントなのだ。日本でも欧米と同等のレベルの入信率だということは、やはりその入信率は高いと判断する方が論理的だ。

→ 修練会など勧誘のプロセスばかりに注目しては「マインド・コントロール」の全体的な問題が薄れてしまう。憂慮することは、入信してからの活動にあるそのなされ方も問題はあるが、回心そのものだけを批判するのではなく、その後の維持・強化にも警鐘をならしたいのだ。つまり、依存性の高まった人を利用して反社会的行動に従事させることである。また意図的な情報制限やストレスの高い生活などである。

→ 「誰でもマインド・コントロールされる可能性」と我々は主張した。その真意は、教団の「マインド・コントロール」がいかなる状況の下にある人の意志をも統制できる影響力があるという意味を伝えているのではない。人には、異なる個人的事情というか、影響力に対する脆弱さはタイミングによって異なる。勧誘を受容するとき、すなわち心理的に脆弱になるときは、誰にでも存在するはずだということである。批判者が高く評価するバーカー,E.の例でも、修練会が進むにつれてその残存確率はだんだんと高くなることに注目して欲しい。つまり、最初の修練会の段階では、宗教的関心も期待もない人が多く含まれている。だから、そこで心理的に脆弱でない状況にある人や、カルトに知識のある人は、その影響力から逃れるやすい。よって、残った人はたまたまマインド・コントロールされやすい状態にあった人となのかも知れない。彼女の研究では、2回目の修練会である7デイ参加の段階まで行くとその43%が信者になる。これは批判者の論理からすると高い率なのだろうか、それとも低い率なのだろうか。

 

3 社会心理学的見地からみたマインド・コントロール

アメリカでも社会心理学界では「マインド・コントロール」論に肯定的だと判断できる。社会心理学では、個人を取り囲む「状況」の拘束力を分析し、そのメカニズムを説明してきた。「マインド・コントロール」もそこで見出されて合意のある諸原理のシステム的応用なのだ。ただ、その実証研究には倫理的問題から原理的な証明に止まらざるを得ないが、社会心理学ではその影響力はオーバーな表現でないとして重大視してきた(権威への服従、自己知覚、認知的不協和、プライミング、ストレスなどの研究を評価)。

→ 破壊的カルト、テロリストやカリスマ国家などだけが倫理問題を考慮せずに実証しているともいえる。

→ サブリミナル広告、暴力や性フィルムの子供への悪影響は実証されていないのに、各業界では自主規制している。つまり、法によってのみ規制するものではないということ。

 

4 西田(1993,1995)の研究は、脱会信者のみの調査で偏向しているのか。

   その研究は悪意があって偏向していると思うなら、追試を行うべきである(もちろん、ヤラセなしで)。私にのみその検証を望むのは無理があるし、それが論文の非科学性の論拠にはならない。科学とは再現可能性によって支えられている。疑問に思う者こそ追試していいのではないか。私は調査対象者を明示している。そこから導けるものとして考察し、科学論文としての審査を受け、賞もえた。確かに過大の一般化には注意しなくてはならないので、統一協会信者のすべてがどうだというつもりはない。脱会カウンセリング対象者の心理しかはっきりとはいえないことは承知のことである。あとは等質性を仮定した場合の科学的推論だ。ただ脱会カウンセリングが原因で歪曲するという可能性は完全には否定しないが、彼らが脱会後、情報の統制や行動の統制などをとられている様子は見られないからそうとは考えにくい。結果から判断して、調査対象者は、特に教団に対して都合の悪い反応をしていないと思われる。よって、無理な考察とはいえないと判断する。批判者の方こそ、同様の調査をおこなわず、古く事情の異なるアメリカやイギリスの研究を示すだけでは、反証可能な実証データを示した批判であるとはいえない。

 

5 破壊的カルトとマインド・コントロールはトートロジーなのか。

破壊的カルトはマインド・コントロールを使う。しかし、マインド・コントロールを使うから破壊的カルトという定義はない。破壊的カルトは、反社会性をメンバーに隠蔽して反社会的活動する集団である。その隠蔽のためにマインド・コントロールを使うことが多いというだけである。破壊的カルトはマインド・コントロールをその反社会性を隠蔽するといった、その程度を度外視して悪用するのである。一方、マインド・コントロールを反社会性のない行為に対して使う場合もあろう。たとえば、まず、本人の意志もそうされることを望み、第三者にも迷惑をかけず共に繁栄をもたらすものであれば、破壊的カルトとは呼ばない集団になる。よって循環論法にはない。 特に軽い一時的マインド・コントロールを用いる企業セールス、健康増進運動のための保健プロパガンダ、薬物やアルコール依存障害者の治療過程などである。つまり、結果の反社会性ないし社会常識を越えた心理操作の程度に注目すべきだ。

  

問題にしている「マインド・コントロール」を再限定しなくてはならない。

今後は「マインド・コントロール」を心理操作の程度の問題として考え、そのレベルが深くて自己決定力剥奪のレベルが強く、かつ本人の望まない重大な結果をもたらすものととらえるべきだ。別の概念を提唱してもいいかも知れない。

→ 両軸の高い座標にいくほど、問題視すべき(レベルに応じて、注意→警告→告発)

→ 心理操作の程度が増大するにつれて組織の責任性のレベルは高まり、JDCC集団健康度チェックリスト」などの活用して個人レベルで慎重に検討する。

 

 1)自己決定力剥奪のレベル(心理操作の手法)

@        インフォームド・コンセントのない状況:目的や結果について嘘や隠蔽

A        十分な個人的思考が働かない状況での意思決定:多面的情報に接触できない閉鎖的環境、欺瞞による現実性の構築、無力にさせる恐怖感、思考能力を奪う体力消耗、後戻りできなくする行動(多額の献金、身分を放棄、犯罪関与など)         

2)望まない結果のレベル(本人以外の期待も含めて)

        家族崩壊、脱会の困難さ、体調不良、入会時の約束事が実現しないこと、犯罪行為(テロ、自殺、収奪 etc)

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